広島平和記念碑(原爆ドーム)
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20)8月6日午前8時15分、アメリカ軍の爆撃機B29「エノラゲイ」によって投下された原子爆弾は広島上空約600mで炸裂しました。
爆風と熱線、放射能によって広島市は焦土と化し、同年12月までに約14万人が被爆死しました。
鉄骨がむき出しになった無惨な原爆ドームの姿は、その惨劇の象徴となったのです。
もとは1914年(大正3)にチェコの建築家ヤン・レツルの設計により建てられた旧広島県産業奨励館で、エキゾチックなドームを頂くモダンな建造物として市民の人気を集めていたといわれます。
しかし爆心地の北西約160mという至近距離にあった産業奨励館は、爆風と熱線によって建物の屋根や床のすべてが破壊され、いつしか「原爆ドーム」とよばれるようになりました。
原爆ドームには、世界遺産の登録基準となる文明や芸術、景観にかかわるものはありません。
ポーランドのアウシュヴィッツと同様に、人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を後世に伝える「負の遺産」として、そして世界に核兵器廃絶と恒久平和を訴える人類共通の平和記念碑として、登録されたのす。
ドームが建つ3900㎡の核心地域と平和記念公園、周辺河川地区の約42万㎡が登録範囲となっています。